【最新・第47回】広報してくれないところもあるの?──就学援助⑥|保護者の疑問にヤナギサワ事務主査が答えます。

【紀行文】「義務教育『完全』無償」を全国で初めて実践した町──香焼町(実地調査紀行文)|栁澤 靖明

「義務教育『完全』無償」を全国で初めて実践した町──香焼町(実地調査紀行文)

 去る2月下旬、羽田空港から夜間便に搭乗し、長崎空港へ向かった。空港からリムジンバスに乗り換えたのは22時を回ったころ──佐世保に到着したのは0時を越えていた。佐世保の用務を終え、今度は長崎に向かい電車で南下(約2時間)し、そこからバスでさらに約40分の旅を経て、旧香焼町周辺にたどり着く(現在は、長崎市に編入)──バス停から徒歩5分程度で目的地の「香焼図書館」に到着した。

 1960(昭和35)年代前後、当時の香焼町役場には「憲法をくらしの中にいかそう」という大看板が掲げられ、その精神に則った町政が進められていた。その様子は「憲法をくらしの中にいか」した実践集『香焼町奮戦記』に綴られている。そのなかでも今回の調査目的は、隠れ教育費と関連する実践「義務教育無償」(第26条)の実現過程やその終末に関することである。

 香焼町が示す「無償」とは、隠れ教育費のなかでも学校徴収金の完全無償化=完全公費負担である。子どもにかかる学校教育費は、PTA会費のみという状態を達成させたのである。財政が豊かであった──というわけではない。香焼町が選択した手段は、1956(昭和31)年に制定された「就学困難な児童及び生徒に係る就学奨励についての国の援助に関する法律」により、「就学援助」制度(準要保護児童生徒に対する援助)を運用し、完全無償化を実現したのである。

 法律名からもわかるように国からの経費補助(1/2)があり、実施主体である自治体はその経費の半分を負担すればよいシステムがあった(現在の国による経費補助は、要保護者のみと後退している)。利用できる基準は実施主体である自治体が決定できるため、香焼町ではその基準を生活保護基準の160%(=1.6倍)と定めた。それと同時に、すべての保護者に就学援助の申請を求める住民運動が起こったのである。

 その結果、就学援助の捕捉率が100%になった(生活保護基準の1.6倍に達していない保護者が全員申請し、無償の適用が開始された)ときには、義務教育無償の適用率(就学援助制度の利用率)が80%を超えた。しかし、所得が利用基準をオーバーしている20%の保護者は、就学援助を利用することができないため、〈町が単独で費用負担〉することで無償化を実現させた。その状態は、確認できただけで1991(平成03)年まで続いていたが、2005(平成17)年に長崎市へ編入し、現在では維持されていない。

(チーフディレクター 栁澤 靖明)

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◼️ 引用参考文献

◯ 坂井孟一郎/岩本伉(1985)『香焼町奮戦記』あけび書房、pp.203-224

◯「町政のすがた(香焼町政白書)」1985年

◯「こうやぎ(香焼町勢要覧 アメニティ香焼21)」1991年

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